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先日、白谷雲水峡にて楠川歩道の石組みを教わる機会がありました。
屋久島の登山道はほとんどが『歩道』という統一した言い方をしています。かつて信仰の対象であった奥岳に参拝に行く為の歩道だったのですが。その後、江戸時代には屋久杉を搬出する為の生活歩道となり。今は、私たちが自然を楽しむ歩道となりました。
かつての江戸時代の島の民もこの道を切り開き道を整備し歩きやすいようにしてきたのかも知れません。
↑ 完成!雨が降るとぬかるみになり土が流れ根っこが露出する所もこれで安心。
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